こんにちは。
早速タイトルですが、間もなく母が旅立って3年になります。
いつもは日常の事を日記のように書いているブログですが、今日は母の事を書かせてもらっても良いでしょうか。
母は大腿骨の骨折で入院し、もう少しで退院と言う時に誤嚥性肺炎を起こし、食べれなくなり点滴だけで生かされていました。
2021年6月から8月の事です。
コロナも真っ最中でしたし、面会もままなりません。
やっと出来た面会で「しんどい?」と聞くと母が「寂しい」と言ったんです。
病院の対応も良くは無く、いつまでもコロナで面会制限も・・・そんな事を考えていると、私の勤める介護施設に母を迎えたらどうだろう。そんな考えが浮かびました。
本来、点滴は介護施設では出来ませんので、点滴を外して私の施設に2021年8月22日入所しました。
私達は仲良し親子でした。
きっと私が口元にスプーンを持って行けば上手く食べて、回復することをただ信じていました。
しかし母は殆ど飲まず食わずでした。
まるで真っすぐ死に向かっているような。
生前に母はよく「延命は一切やめてな」と言ってましたから、母の気持ちを尊重しましたが。
基礎疾患は無いので、
食べさえしたら
飲みさえしたら
紅葉が見れるよ。
桜もきっと見れるよ。
そう思っていましたが、母は何も受け付けません。
尊重したいけど、
するけど・・・
ちょっと食べてみない?
バナナは❓
ゼリーは❓
あの手、この手で
そんな事をするのは私達(私には兄がいます)の自己満足なんだろうか。
まるで母が旅立とうとする事を手助けしているかのような、そんな言いようの無い苦しい気持ちにもなりました。
感情と理屈が噛みあいません。
延命を望まない母
分かっているけど、食べたら、飲んだら
私のそばで・・・
もう少し良い思いが出来るんとちゃう?
もう少し一緒にいたいよ。
2018年に施設に入ることを決めたのは私だから、罪悪感?
飲まず食わずでしたが、元気に見えました。
下の写真は夕方散歩に連れ出した時ものです。
母は私のもとに来て17日で、旅立ちましたがあのまま病院にいたなら悪い「たられば」にずっと追いかけられていたと思います。
後悔ばかりですが、それでも良いと思える選択をしたと、思っています。
千葉に住む叔母が駆け付けてくれました。
ハイタッチ。
うつろな意識のなか、私がそばにいることが分かると「あぁ」と声にならない声を出し、両手でまるで宝物を包むような仕草をしてくれました。
その表情を忘れる事は無いと思います。
下の写真は母の誕生日を施設の皆さんが、ケーキとお花を買ってお祝いしてくれました。
この3日後に母は旅立ちました。
母は本当に頑張ってくれました。
寝室に母の遺影に向かって毎朝「おはよう」
夜は「おやすみ」「ありがとう」「ごめんね」
それしか言えないんです。
いつも
いつも
愛してくれてありがとう😊
私も愛してたよ。
ありがとう🌱
今日は介護や終活について話す機会があり、気持ちを書いてみたくなりました🙏
とりとめのない文章を最後まで
読んで下さりありがとうございました🙏
ありがとうございました。