パーキンソン病の父の事

入院中の父の様子 価値観の共有の大切さ

こんにちは😊

8月23日に尿路感染で、入院した父の面会に来ています。

声を掛けても黙ったままです。

反応がありません。

今日はホットタオルで顔を拭き、クリームを塗り、鼻毛と耳毛をカットしました。

寝ている父の顔を見ていて、色んな思いが巡ります。

入院して10日ほど経ちますが、初めの数日は本当に見ていて辛くて。

痰が取れずに苦しそうだったり、「しんどい❓」と聞くと「しんどいですよ」と返ってきたり。

ここ数日は反応が殆どありません。

今の病院は急性期の病院なのですが、兄と話していて今の状態は本人にとって可哀想、そんな思いでした。

すると兄が主治医に「ここで看取る事は出来ませんか❓」そんな事を聞いていました。

急性期の病院で、看取りはまず無いかと思います。

父にとってどうするのが、1番ベストなのか。

父は元気な時によく私に「延命はやめてくれよ」と言っていました。

そして少し前にも「早く終いにしたい」とも。

父の哲学のようなもので決して「死にたい」とは言わないんです。

少し前に救急搬送された時「長い間闘った」そう言ってました。 カッコ良いでしょう🥰

その時はきっともう旅立てると思ったのかもわかりません。

生命力が勝った父は、入院せずに割と元気に施設に戻ったんです😆

最近「どんな姿でも良いから、生きてて欲しいよね」と同世代の人が言っていました。

私はそうは思いません。

多分父は今の自分の状態が分かるなら、やはり「早く終いにしたい」そう言うはずです。

ここで

物凄く大事な事が

価値観の共有です。

少し前にオンラインコミュニティ「リベシティ」の終活オフ会で聞いた事です。

父なら…

母なら…

夫なら…

きっとこう望んでいる、その事が分かること。

父の価値観は私が共有しています。

父が望んでいることは分かります。

ですが、今回の入院で改めて思いましたが「人はそう簡単に死ねない」のです。

そこも含めて寿命、生命力だとは思います。

父の想いを十二分に汲みつつ、自然に任せよう。やっとそう思えるようになりました。

近道なんて無いのです。

それも含めて父らしさ、なのかと思います。

もし最後に近い段階で医師から「どうしますか❓」と決断を迫られた時。

そこでどうか強い気持ちで、父の想いを優先できますように🙏

間違っても「お任せします」これは

言ってはいけない。

何故ならその時は、チャンスだからです。

私はどんな姿でも良いから、生きていて欲しいとは、思いません。

父の価値観を共有していますから。

重いテーマになりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました🙏🌱

ABOUT ME
atsu
こんにちは😃 大阪に住む2022年 還暦になりました、いろはと申します(*^^*) よろしくお願いいたします。日々思うこと、愛犬、親の事などつらつらと書いて参りたいと思います。小さな事で良いので、新たな事にチャレンジしたいと思っています。みんなガンバp(^-^)q 私もp(^-^)q