こんにちは。
風邪やインフルエンザが、流行っているようですが、いかがお過ごしですか。
ゆるく働いている私は、昨日が仕事納めでした(笑)
昨日、12月26日(木)の事です
タイトルに書いた母の30年前の表情、というのは、休憩時間に同僚との会話で思い出したのです。
同僚「娘がプレゼントをくれて」
私「何もらったの」
同僚「それが…現金」
私「(笑)それな一番良いやん」
同僚「あの子積み立てして、こうやってしてくれてるねん」
私「えらいな母と娘は特別やもんな」
そんな会話をした時に、思い出したんです。
30年も前の話しですが。
大阪の寝屋川市という所に、約6年間住んでいた事がありました。
遊びに来てくれた時の事だったと思います。
同僚の娘さんのように、母にプレゼントをしたくて、私も積立をしていました。
その当時、現金で渡す事は思いつきませんでしたが、母は旅行が好きで、父や友人とよく行ってました。
そこで思いついたのが、旅行の商品券
どれくらいの積み立てをしていたのか…
ハッキリと覚えてはいませんが。
JTBのだったと思います。
渡した時の事も覚えていません
ですが、駅で別れる時の母の顔を、昨日ハッキリと思い出したんです。
その時の母は今の私と同世代です。
あの頃の母はどんな風に、暮らし、考えていたのだろう。
心配性の母でしたから、私の事もあれこれと気をもんで、心配かけたろうな。
子供の頃てんかん発作を度々起こしたり、車も無い時代でしたから、母におんぶされて、病院に行った記憶が、うっすらですが、あります。
関係性は良好でしたから、よく会い、電話で話し、コミュニケーションをとっていました。
寝屋川市駅で別れた時の母の顔は
涙ぐみながら
嬉しい気持ち
満足な気持ち
決して楽な生活をしていない娘へ、目には見えない事にも、思いを馳せてくれていたのかも分かりません。
母親だからこその…思いだったのでしょうか。
今なら理解出来ます。
でも
きっと
その時は幸せでいてくれたかな。
たまに言ってたやん。
「あんたを産んでおいて、良かった」
私にも言わせて。
「産んでくれて、ありがとう。」
もし叶うなら…次も親子でいよう
いさせて。
その時は
もっと優しくしたいよ。
感謝の気持ちも言葉にしたい。
気持ちに寄り添ってあげたかった。
いつもどんな時も、味方でいてくれた。
何がしたい
どこに行きたい
そんな話しをいつか会った時に
たくさんしよう
何だか書きながら、泣けてきます。
もし
お母さんお父さんが、ご健在なら
月並みですが寄り添って差し上げて下さい。
「いちばん大事なものは、隠れて見えない」
竹内まりやさんの「いのちの歌」の1節です。
独り言に耳を傾けて下さり、
ありがとうございます
どうぞ、良い1日をお過ごし下さい
追伸∶お墓に花を供えてきました。
母はもういませんが、いつも私の中にいて、色んな言葉を投げかけてくれます

天気も良く気持ちの良い日でした。
ご先祖様
ありがとうございます